MENU

はじめまして、みたいなもの

2026年1月上旬、10年に及ぶ結婚生活に終止符を打ち、ひとり暮らしを始めた。

結婚生活は、世で言われているほどひどいものではなかったし、楽しいものでもなかった。
淡々と続く毎日に、法律上のパートナーがいる・いない。それだけのものだったと思う。
ただ、結婚生活を始めてから得た家族がいる。犬と猫と猫だ。物言わぬ毛深い家族たちは、今や私の心の支えであり、生活の中心となった。
毛玉たちがいるから私は生きていられている。ほんとうにひとりだったら、今頃はこの世を去っていたと思う。

犬と猫と猫を連れて新居を探すのはなかなか大変だったけれど、結婚前はひとり暮らしをしていて諸手続きは初めてではなかったので、お金と時間さえ工面できればそう難しくはなかった。
本当に大変だったのは、自分では手の届かない高所の作業や力仕事。こればかりは元夫のありがたさを思い知った。元夫とは協議離婚(裁判所での調停ではなくお互いの話し合いだけでの離婚のこと)であり、特にお互い憎み合っているとかでもないので、必要な時は連絡をして手を貸してもらっている。「なんか出来ることあったら手伝うよ」とは、元夫が離婚届にサインしたときの言葉だ。

ASDであると診断されたのも、結婚生活の中でのことだ。
それまでは長くうつ病と言われていた。遡れば思春期、不登校だった私は当時の担任の勧めで精神科を受診しうつ病と診断された。大学進学や就職などのライフイベントで主治医が変わると『統合失調症』とか『双極性障害』とか言われたりもした。精神科領域の病は目に見えないので、歴戦の医師でもなかなか判別が難しいのだろうと思う。たぶん。
最終的には『ASD(自閉スペクトラム症)』、『うつ病』、『複雑性PTSD』という診断名がつき、今の主治医につながって落ち着いている。
もうひとつ、私の精神状態を困難にした『PMS/PMDD』というのもある。これについてはまさしく今日からジエノゲストという薬を飲み始めたところなので、経過を書いていきたいところ。

私は文章を読むのも書くのも好きだ。高校生の時は、友達がいない昼食時は決まって文庫本を開いていた。文字を追う時間、私は自分が何者であるかを追求しなくて済む。
ASD女性の本といえば、サラ・ヘンドリックスの『自閉スペクトラム症の女の子が出会う世界』という本が有名で、その中には「女の子も自分が何者であるかを知る権利がある」というフレーズがある。
自分が何者であるか、あなたは知りたいですか? 私は別に、自分が何者であっても構わない。どうでもいいとさえ思う。
「この人間は、こういうものだ」という名称や表現がついたところで、私が私であることは何も変わらないし、その名称や表現が間違っていないという保証がどこにもない。私自身でさえ、私が真にどういう人間であるか把握できてないから、それはそうともそうでもないとも言い切れない。
正解がない答えを知ったところで、それは「わからない」と同義なんじゃないか。だったら別にどうでもいいや、というのが私の答えである。

とはいえ、自己探究は楽しいものだ。当たろうが当たるまいが占いを読むのは好きだし、性格診断や相性診断なんかは楽しんで読むことができる。
「わからない」を「わかる」にする作業は大好きだ。だから『自分が何者なのかはきっとずっと「わからない」けど、「わかる」に近づけていく作業は好き』と言える。

禅問答のようで疲れてきたのでこの辺で終わりにする。
ここは私の庭であり、私は草木の手入れをするように『「わかる」に近づけていく作業』の様子を、このノートに記事を書いていけたらと考えています。

それっぽく書こうとしたら全然自分じゃないみたいになった。自分って何。哲学だなぁ。

  • URLをコピーしました!
目次